祈りの旅

日本のどこかでアルゼンチンタンゴを踊っている女のブログです。

淋しい、が降りゆき

 

 

今朝は雨が降ると知っていた。

朝の支度をしていると、あまりに静かだったから、もう降っていないのだと思った。生活に怠惰なわたしは、起きてカーテンや窓を開けて、朝の光や空気や鳥の声を部屋に入れるという習慣が無いせいもあるのですが。

仕事に行くためにドアを開けると、アパートの共同廊下が一面濡れて、鈍く光っていた。

時刻は午前6時半前。雨は、静かに降っていた。

世界中の音が、天の獣の大きな眠りに吸い込まれていた。毛皮の色は、灰色にも緑色にも見えた。

雫一粒一粒は、跳ねることなく、地面の光沢の一部になった。

今日は電車さえも、ホームに入り込む音をさせなかった。山手線も。西武線も。

 

そんなに静かに降るだなんて。

こんなに静かに落ちるだなんて、淋しい気がした。

淋しい、という字は、きっと今日のように、音もなく降る雨の様をあらわしているのよ。と思った。

寺山修司の詩に、この字に関しての詩が、あった気がする。それを朗読したCDを持っている。

 

もしわたしが雨の一筋だったなら。

風に…強い強い風に、苦しく苦しく吹かれたい。思いきり、脅威に、強度に揉まれて。吹かれて打つのだ。打ちつけるのだ。木々を。虫たち。馬を。牛を。岩を。人工物を。

打って跳ねて、走るように流れていく。

そんなに静かに、降って落ちて消えて流れるなんて、嫌だ、嫌だ……

……淋しくて怖い………

 

昼前には、抱きとめられないほどの風が吹いてきた。ああ、よかった。こんなに、冷たい、風が吹くなんて。

バスを待っていた。横殴りの雨はわたしの上着を靴を濡らした。隣の女の子の、トレンチコートの裾を大いに濡らしていた。

コンクリートの上を、雨粒が跳ねて風は波紋を作り、躍っていた……。

 

 

+++

 

仕事の話。あるお客さんと接するのがつらいと、先輩に相談していた。

政治の話や、いま戦争しているどこぞの国のナニ人の良くない話を、延々延々と話されるのがつらいのです。という相談を、聞いていただいた。

もう、そのお客さんと関わるのはよしなさい。と、先輩はアドバイスをしてくださった。

その時は本当に、「ええ、そうします。そうしたい。楽になりたいですもの。わたし。」と思ったので、正直にそうお返ししました。

「そんなお客さんと長く関わってきたなんて、あなたは優しいわね。」とそのかたはおっしゃった。

優しい、ってなんでしょう。きっと、そうじゃないんです。

わたしには、お友達も恋人もないから。普段おしゃべりする人が、いないから。

お友達への優しさも。恋人への優しさも。あげる機会を持てないから。

わたしが人との繋がりのほとんど無い悲しい人間だから。ささやかな繋がりの人にも、冷たく切り離すようなことが出来ないのです。甲斐性のない、人間だから。わたしの中の、区別が、できないのです。大切な人以外にも優しさをあげたいのは、本当はかわいそうなことではありませんか。

わたしは結局、そのお客さんを切って捨てることがこの先もできないでしょう。ひとつひとつ話聞いてやり、相槌を打ち、重たい荷物は持ってあげるでしょう。

わたしの優しさとは、空っぽの、値打ちのない、空虚の陰が揺れてるだけです。

合理的な理由で、縁は簡単に切れてしまう。正しい理由で、いとも簡単に、切ることできてしまう。

不安な縁を、ひとつひとつ束ねて。最後までいくつ、大切に持っていられるでしょうか。