蜜の肺、蜜の夢
端には蜜色。
神は銀杏の樹に舞い降りた。
豊かな巻き毛のまなざしで。黄金のときは、遠く鐘を鳴らして、わたしたちにおとないました。
地中の蝉の子が身じろぎする。命は戦慄しつづける。ねえ。息が。聞こえませんか。ほら、息が。聞こえませんか。
古代より歌われるニューロン。偉大なる銀杏よ。
瑞々しき木乃伊のうつくしさ。蜜の骨。蜜の葉脈。金色のときよ。
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端には蜜色。
ああこれは、誰が見る景色。吐息なく丸く眠る 蝉の子の夢の中でしょう。
絹のキチン質を纏い、絹の水脈から来たる。光のように飛翔せよ。冬の蝉の子ら。
地中では 翼が無くても飛べるのよ。
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痛みや悲しみでしか音楽を感じることができなかったり。または痛みや悲しみでしか音楽を刻めない、というのはきっとわたしの悪い癖です。
痛みでもって悲しみでもって、胸が締め付けられないと、タンゴが楽しく無いというのは悪い癖です。
わたしの過去に、そんな大層な悲劇なんか、たぶん無いのに。なんにもわたしは、痛くなんか無かったかもしれない。我ながら、薄ぺらい人生を、歩んできました。
どうしてこんな、痛がるのでしょう。降り注ぐ矢のように痛い曲ほど、自分の宿命のように感じるのはどうしてでしょう。そういうものほど、踊りが楽しいのはなぜでしょう。
当たり障りないだなんてさみしいから、むしろ傷つけてほしいとさえ思う。
幸せものではないから、わたしはタンゴが楽しいのでしょうか。
きっとわたしは、わたしの人生が深刻でないのでしょう。だからそんなことが"楽しい"だなんて言うのだわ。
全部、嘘です。